先日、自助グループの立ち上げに何度も協力してこられたかたが面白いまとめをしてくださった。曰く「意識高い系のグループは意見がぶつかり合って続かない。意識低い系のグループの方が長く続く。」。
例えば問題意識を啓発するような集会を企画すると、意識高い系のグループでは一人ひとりの小さな意識格差が大問題に発展する。結果意見が噛み合わず会として成り立たなくなる。逆に「月一回は飲み会をしよう」程度の意識低い系グループは、それだけを続けながら徐々に発展したりするのだそうだ。
この「まとめ」が言わんとするイメージはとても良くわかる。意識が高いと、一緒にやるグループの全員にもせめて同じ程度の意識を無意識に求めてしまう。その結果、追いつけない人を置き去りにするか、意見が合わずに対立を生むか、結局続かないということは良くある。だからといってなんとなく楽しむだけでは集まることだけが目的のようで物足りなさも感じるけれども、続けて行くうちに共感するグループに育っていったりもするのだ。
必ずしも「長く」続くことがベストではないのは勿論だが、例えば傷ついた人たちの自助グループがせっかく立ち上がっても、そのグループの運営を巡って対立が起きてしまったら自助どころではない。却って古傷がえぐられたり、二次被害が生まれたり、深刻な事態を引き起こす可能性がある。なかなか難しいモノだ。
ところでキリスト教会は意識高い系or低い系?
確かに「真理」なんか扱うのだから意識高い系に見える。議論(口論?)に暇がなかったりはする。役員会・執事会が夜遅くまで延々と続くことも珍しいことではない。分裂する教会だって実際には数多ある。パウロ先生は意識高い系だな、間違いなく。
だけど教会はそんなにがんばって意識高い系を維持しなくても良いかもしれないよね。とにかく日曜日集まって礼拝するだけ。それだけで本当は良いのではないかな。さぁBBQだ。
2025
28Sep
四谷快談 No.235 意識高い系 or 低い系
